報告
父 嵐野英彦儀 かねてから療養中でございましたが 去る十月十四日に永眠いたしました
ここに謹んでご通知申し上げます
葬儀におきましては 故人の生前の意思により誠に勝手ながら家族のみにて執り行いました
本来ならば早速申し上げるべき処でございましたが ご通知が遅れましたことをお赦しください
尚 お供えや御香典につきましては ご辞退させていただきたくお願い申し上げます
生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げ 失礼ながら 書中をもってお知らせ申し上げます
平成二十八年十一月
嵐野英彦(あらしのひでを)公式ホームページ管理者 嵐野彩香
8月の報告
8月8日、ようやく夏だぁ~を感じました。早朝、強い日差と心地よいそよ風を受けながら自宅から仕事場へ移動時です。歩いて数分の距離ですがいつもより歩を緩め、これが自分のなかに定着している夏モードだと確認。それはBGMとしての蝉の大合唱によって増幅されます。8月も中旬となると数種類の蝉がそれぞれのピッチで音を出してますから音に厚みがあってなんとも不思議な音塊です。音の切れるタイミングが微妙にずれるのでこれまた見事なポリフォニーだと感じるのが夏!なんです。
間もなく長いフレーズのパートが加わればつくつく法師で、夏の終わりのサインです。
おかしな天気続きの後、子どもの頃京都での夏体験を感じたのでイントロが長くなりましたが、さて7月の「たらちね」についてのご報告です。端的に言って「オモロイ」仕上がりとして再生してくれた!が実感です。なによりピアニストとしてより、プロデューサーとしてのセンス、力量をあわせてもった小島好弘さんに感謝です。
その小島さんのメガネに適ったのがテノールの大川信之さん。ソプラノの相馬奈苗さんは昨年の「しばはま」で実力は実証済です。
初演以来「たらちね」は作品が演奏者を選ぶことを標榜してきました。主人公「喜いやん」は生粋の浪速っ子です。楽譜になった「うた」は兎も角、喋りが重要な要素ですから上方語が話せないではこの作品は成立しません。いくら「声良し」「演技良し」でもペケなのです。
初演の中納俊夫さん、もうなん十回も演ってもらった古澤泉さん共に子ども時代は上方で過ごされたのでバッチリでした。若手世代で大活躍の大川さんも浪速生まれ、浪速育ちで人材発掘の才も小島さんにはあって安心しました。
「ぱぁと・わん」の前半は寄席の高座風のステージで演者は着物でセンス、手拭いの噺家もどきで歌い、喋るというのがパターンでした。今回は冒頭からしっかりしたお芝居で始まり少々違和感がありましたがこれもあり?と納得。
「ぱぁと・わん」で主人公は長屋の「便利屋」でしたが今回はしっかり大工の道具箱を担いでの登場でこれが演出の妙味かと。良い方向での再生で安心したことでした。このような経験から作品のひとり歩きを実感しています。
この続きはまた来月に。みなさんこの暑さに負けないようお大切に。
2016年8月8日
7月の報告
7月になりました。2016年も平穏無事で半年過ぎました。
森羅万象に感謝です。毎年6月から7月にかけてはビックリするようなことも無く過ぎてゆくのですが、今年は小さなサプライズがありました。作家の五木寛之さんから人を介してですが会いたいと連絡がきたのです。今や大作「親鸞」を書き上げ、思想家の領域とでもいえる多くの著作をものにしている御仁ですよ。私にとっては全く異界の人です。連絡内容は作家デビュー(1967年、―蒼ざめた馬を見よ―で直木賞受賞)する以前の執筆活動、自分が何を書いたか記憶が薄いのでそれを知りたいということで脈絡が繋がりました。1960年代、彼は「のぶ・ひろし」のペンネームで歌謡曲やCMソングの歌詞を量産していたのです。会ってお話をするうち、私が作曲したCMソングのうち何曲か彼の作詞だったことが判明し、これまたビックリでした。
約50年ぶりの再会ということで作家五木寛之さんとは初めて挨拶を交わしたわけです。その昔、何かギラギラするような風貌の御仁は銀髪を蓄え、上品に年齢を重ねられたとお見受けしました。またの機会に彼と一緒に仕事をした作品を掘り起こしたいと思っています。
そして7月1日、こちらは久しぶりに落語ブッファ「たらちね―ぱぁと・わん、ぱぁと・つぅ」が連続上演されました。1978年、大阪で初演以来多くの演奏家が取り上げてくれましたが、時を経て三代目となりました。今回は初めて演出が入り様変わりしました。
赤毛オペラもどきの所作が随所に使われ、アニメ・オペラとでも言いそうで作品が独り歩きしてるなと実感しました。またいろいろな何とかもどきに化けられる、融通無限の作品なんだナ?と妙な感慨を覚えました。でもこの作品に挑戦しようとする気概と度胸に脱帽すると共に感謝の気持ちでいっぱいです。さて、下半期どんなサプライズに巡り会うのか、楽しみでもあり怖くもあります。向暑のおり、ご自愛を。
2016年7月3日
6月の報告
2016年6月6日、1935年生まれとしては、過去わが家の家系で(江戸末期―明治―大正―昭和)誰も経験したことのない年齢です。ずっと墜落寸前の低空飛行で過ごしてきたように思えます。高校生の頃知った明恵上人の『阿留辺畿夜宇和―あるべきようは』を勝手に解釈し、生きていくモットーにしてきただけのことですが。
二人の小さい孫の、日々ちょっとした仕草に刺激を受けながら安穏に過ごせる幸せに感謝です。
毎年5月の仕事の中心は「詩と音楽の会」主催の新作歌曲発表会のための作品にとりかかります。ここ10年あまりこのスケジュールは不動のものでしたが、今年の作品提出は辞退することになりました。作曲したい衝動に至る詩に出会えませんでした。歌曲作曲のメソッドは何通りか持っている積もりですが、この詩にはこんな「音」でという直感が働かなかっただけです。連続提出にこだわっている訳ではないので提出は見合わせたということです。
歌曲作曲のかわりに子どものためのピアノ曲、10曲ほどスケッチがとれたので組曲風に仕上げる予定です。
5月29日、PTNA(全日本ピアノ指導者協会)の企画でピティナ・ピアノ曲事典―公開録音コンサートがありました。演奏は生田美子さん、詩と音楽の会コンサートでのおつき合いがあります。演奏された作品は生田さんの師 三善晃さん、生田さん自作と拙作でした。三善作品は師への畏敬の念がこもった誠実で丁寧な演奏でした。拙作は3曲、1986年出版(音楽之友社)の「かわいい花たちの組曲」2009年出版(カワイ出版)の「さらり・しきたり I・II」未出版のピアノによる「4つのエスキス」でした。機能和声作品の「かわいい花たちの組曲」に対して後の汎旋法作品との弾きわけ、音色の対比が見事でした。
ピティナのこの事業は創作者サイドにとって期待したいものです。拙作も子どもやアダルト初心者が関心をもってもらえばと願っています。
5月はもうひとつ、京都と滋賀での仕事とスケジュールがピタリ、ヒットしたので高校の級友たちの集まりに参加してきました。高校入学時の同クラスがメンバーで14人集まりました。いわゆる同学年一同の同窓会ではなくクラス単位というのは珍しいですね。嵯峨野線とやらに乗り込み「嵯峨野嵐山」駅集合の後、湯豆腐料理店での昼食でした。それこそウン十年振りの洛西でしたが洛東育ちにとってはやはり異境でした。出席の級友たちは揃ってピンピン振りの元気そのものでヨッ!ご同輩というわけで意を強くしました。次の機会には何人と再会できるかな?昼食の後、大河内山荘へ散策する級友を見送って京都駅に向かいました。
世の中おかしなことばかりなのに季節の巡りは早い遅いがあってもピタリうっとうしい日々となりました。
何も無さそうで何かがあった5月でした。これからも大過なく過ごせますようにと願う日々です。ではまた来月に。
2016年6月9日
4月の報告その2
「自然の恩恵」と表裏一体のような「自然の驚異」をまざまざと目の当たりにしました。阪神・淡路は滋賀で、東日本は仕事場でかなりの揺れを体感しましたが、今回の熊本はひたすら目からの情報ばかりでしたが現実は物凄いものでした。お茶好きの私はひたすら熊本のお茶を喫することで復興への微々たるお手伝いをしましょう。
さて、今回の報告とお知らせは、世の中ゴールデンウィークまっしぐら風情ですから少々早めということで……。
今年も年明けにサプライズがありましたが、その詳細は把握できなかったのでまだ内緒なんてお茶を濁してました。内容がはっきりしてきたのでお知らせします。未だ先のことですが7月に拙作「たらちね」が久しぶりに東京で演じられます。「ぱぁと・わん」「ぱぁと・つぅ」の連続演奏です。「ぱぁと・わん」の初演は1978年大阪で、その後毎年どこかで演奏されました。それ以来演奏者も代替わりがあって今回は最早三代目です。初演は中納俊夫さん・大阪芸術大学(以降所属団体は演奏時のもの)小倉幸一さん・名古屋ピッコロオペラ、井上善作さん・コンセール・アミ。二代目は古澤泉さん・日本オペラ協会、彼は長年演奏し自身のレパートリーに加えてくれました。そして小城登さん・こんにゃく座。そして今回三代目は大川信之さん・二期会。二代目古澤さんの相手役は数知れずです。また今回はあらたに演出家をたてたのことで私も楽しみにしています。ご期待ください。
もう一つお知らせ。PTNA(全日本ピアノ指導者協会)企画・主催のコンサートです。日本のピアノ曲を広く周知したいというのがその主旨です。三善作品と同席というのは面映ゆいことで、子ども向きのものと内容、テクニック共に中級レヴェル向きの作品です。
演奏は自身も作曲する学究肌の生田美子さんで三善作品との弾きわけに期待しています。いずれもチラシをアップしておきますのでご覧のうえ、お出かけくださると嬉しく思います。
お問い合わせはパンフレットに記載の連絡先までお願いいたします。
2016年4月23日
4月の報告
年度末、新年度のバタバタから解放されてずい分時間が過ぎました。世の中の仕組みに関係なく桜の開花を待つ日々でしたが焦らされながら満開を待って4月となりました。
ここ府中は甲州街道の南側に大國魂神社の欅並木、北側には十文字に結構な桜並木があり、なかなかの風情に浸っています。
先月の報告で洩れてしまったことを追加しておきます。
2月27日(土)の午後、滋賀・守山市立図書館でライブラリーコンサートのタイトルのもと、拙作によるコンサートが開かれました。
演奏は守山スティマーザールでのレクチュアとコンサートのメンバーで、ピアノ稲田万里子さん、辻若菜さん、ソプラノ田中裕子さんそして辻さんの生徒で小学3年生の重野ななみちゃんでした。ななみちゃんは先生の辻さんと4手連弾です。
出演者は「良かったァー」の言葉より、「楽しく演奏しているのがよく伝わりました」の言葉が嬉しかったと言ってましたが、音楽を楽しいと感じることを共有できるためのトレーニングをしっかりと―をモットーに日々「音」とつきあっていますがレクチュアの受講者が実践していてくれたことを頼もしく思っています。
このスピリッツを次の世代に伝えて欲しいものと願っています。
月2回の滋賀行きは何かときびしいのでこのコンサートは聴けませんでしたが出演者の感想を聞いて良かったナと意を強くしたことでした。レクチュア仲間にはメゾ・ソプラノの佐野晴美さんがいますが彼女は京都在住のジャズ・ピアニストとのライブ共演で拙作「京ことば」歌曲を歌い、聴く人の反応を楽しんでいるとかで拙作も人々が「音楽する」楽しみの材料を提供できているようでこれもまたクリエーターとして嬉しいことです。
守山のレクチュアは10月のコンサートをまとめにして1年のスケジュールを堅持してきましたが、今年は衣更えでさらに拙作を「マナ板」の上に置いて料理してもらう作品演習となり、長年楽譜のマトモな読み方の勉強した成果に繋がるゼミ・スタイルを採ることにしました。受講の皆さんそれぞれ個人の忙しい日々の中で勉強を続けているのに感心しています。
当日のプログラムをアップしておきます。
3月はもうひとつ、関西在住の友人から「アンタのうた聞いたでェ~」こちらの人から「ちょっと面白いウタだった」等、少からず言ってきたの「?」と思ってましたら、音の発信は春の甲子園、選抜高校野球の話題でした。
滋賀大学在任中に委嘱された「滋賀学園校歌」だったのです。
夏の甲子園、各試合で勝った高校の校旗が掲揚され、効果を男声合唱で歌い(録音テープですが)讃えることは知っていましたが春も同じことをやっていたのですね。天晴れ準々決勝まで行ったのですから2回甲子園で鳴っていたのですね。滋賀県では1990年代、新設校が多く小生にも作曲依頼があり、小学校・中学校・高校と4~5曲制作していたことを思い出しました。「歌づくり」は好きでCMソングからオペラ・ブッファまでさまざまなスタイルをこなしてきましたが、実は―校歌はもっとも難しいうたづくりです。いろいろな繋がりで委嘱されますがそれぞれ「ワケアリ」がついて巡りますからネ。
世の中、高校野球ファンは結構いるものだと再認識しました。
「滋賀学園高校」夏の甲子園も出場できるのか?その時はささやかに応援をして、TVから流れる自作を聴いてみたいと願うこと―叶うかな?
言うなれば日々平々凡々だけれど時々いろんなレベルでのサプライズがあり、それも生きている証しと、ありがたく思う4月の始まりでした。来月の報告いろいろできると良いのですが……
2016年4月2日
2月の報告
2月は8月と同じようにもっともよく働く月というのが、大学3年以来ずっと1年のスケジュールの軸となっていました。今や日々安穏且つ平凡に過ごしている中で身の回りの異変にびっくりです。
今ごろになって初めての体験をしています。2月になってからの気温の乱高下にとうとう来たか天変地異?は大袈裟だけれど2月に対する身構え、今までの感覚が通用しないことを悟りました。一夜明ければ気温差10何度というのはつき合いきれません。
季節の変わりめ、この年になれば、それなりの天候のつき合い方に馴らされてきたのにそれが通用しないとは!日本には四季があって、それが24節季、72候と細分化され生活の指針となっていたようで肌に感じる「気」をすてきな言葉で表現されています。
もっともこれらは全て旧暦によるものですから現在の暦とはズレがあって当然ですが、よく聞く「暦の上では今日はナントカ」で上手に調整して季節の移り変わりを感じてきました。今や全くそれが通用しない状況に更めてびっくりです。
「日本文化」は…と大層なことではなく含蓄のある日本語の影が薄くなって行くようで何とも心許ないものを感じるのです。そのような中でも梅は健気ですね。2月も10日を過ぎると春の気配を感じさせる香気を漂わしています。昨年も同じことがあってささやかな感動からピアノによる「香気4章」を仕上げました。いままで色彩に触発されて曲づくりをしたことがありますが香りは初めてのことです。色彩と音楽の融合はその昔、A.スクリャービンが光オルガンの開発と共に一定の成果があったようで更に香りと音についても試みたけれどこれは失敗。
A.スクリャービンのやったような大それたことではなく香りから連想する妄想をエッセイ風に綴ったもので香りに個性のある花、4種を題材にしました。誰かの手により演奏される日が楽しみです。
もうひとつ、この年になって初めて体験したこと。朝に仕事場に向かうときのことです。太陽を背にすれば自分の影は目の前にあって当然ですが、その時体験したのは太陽に向かっているのに自分の影が自分の前にある「ナンダァー、これ!」です。周りを見渡して納得。この事態今まで気づかなかったのが不思議です。
多摩川沿いの自宅の辺りの変わりようは激しいもので大層なビルの林立と化しています。
自宅より川上にある10数階建てのマンションが建って以来の椿時です。おおむねは東向きの無数の窓ガラスが陽の光を反射しているのです。季節、時間の組み合わせでこの状況になるようです。太陽に向かって歩いているのに窓ガラスに反射した光が背後に当たって自分の影が目の前に出現したわけです。これが今になって初めて体験してびっくりしたことです。安穏で平凡な日々の中でもいろいろなことを体験した身辺雑記でした。
皆さんも季節の変わりめ、ご自愛を。
2016年2月26日
謹賀新年
今年も「たわ言」「ひとり言」におつき合いいただければと思います。どうぞよろしくお願いします。
昨年夏以来おかしな天気をひきずり年明けも暖かい日が続きました。些細なことだけれど「何だかオカシイ…」と感じたことをひとつ。自宅の隣に小学校があり、小学生が通う通学路はささやかなイチョウ並木があります。このイチョウが変なのです。2~3年前ごろは葉の色づき散りざまで季節の移ろいを感じていましたが、それがオカシイ…。イチョウの下には山茶花や寒椿の植込みがあるのですが例年ならこの植込みの花が開く前に落葉があり、鮮やかなイチョウの葉は植込みの葉の間に潜ってしまって美しい配色を見せます。
「あゝ秋だナ」と感じながら自宅から仕事場に移動するのですが、昨年末「オカシイ!」と感じたのは咲ききったそれぞれの花の上にイチョウの葉が乗っています。いつもと違う色の対比に気がついてイチョウの木を見上げると高い所にまだ沢山葉が残っているのです。例年なら立枯木の風情を見せているイチョウの高い所に未だ鮮やかな色が残っているのですね。そう言えば冷気を感じつつイチョウの葉はヒラヒラ舞って地面に着地する他の落葉と違って、イチョウは素直に真直にストンと落ちてくるのもこの移動道で知りました。今までの感覚的な常識がひとつひとつ通用しなくなってきているのですね。「夏になったナ」「気がつけば冬」といった季節の移ろいが薄くなりました。古来から日本文化のゲネラル・バスのような「滲み」の感覚が無くなったように思えてなりません。皆さんはどう捉えているのでしょうか…。新春一発めの「たわ言」でした。
1月はPTNA(全日本ピアノ指導者協会)の事業である新曲課題曲募集の譜面審査が始まり、時間をかけて譜読みをしています。毎年さまざまな風潮がありますが今年は譜面に特徴がありました。応募作品の楽譜は昨年までパソコン版がほとんどでしたが今年は手書き楽譜が多く、譜読みは手間がかかりますが、パソコン版より作曲者よりのメッセージがよく伝わることを実感しています。2月の審査会議を経て4月実音審査となり、課題曲として選定されます。コンペティション参加者に演奏される曲を選びたいものです。
一昨年、昨年に続き今年も年明け早々嬉しいサプライズがありましたがこれは内緒、いずれ詳しく報告いたします。このような他愛ない「たわ言」にもどうぞおつき合いください。
2016年1月9日